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あそこここでこげな話題が出ちゅー。


都度コメントは入れてみたが俺もちょっと深めに考えてみた。
今日は長いぜ~。

そして結構言いたい放題ですあしからず。

前述の二人と比べても俺はファン暦が長い。
97年初頭からなので来年は10周年て事になる。

きっかけは線路沿いの恋。
地元に残してきた彼女とくっついたり離れたりを繰り返して最終的に

「もう本当に会わない...会えない」

って電話をもらって終わった。
そんな直後に聴いた線路を聴いたあの日から俺の人生は急展開したと思う。

音楽はそれなりに好きだったしライブだって行った事はあった。
でも単身上京してライブなんてのはブルームが初めてだったし無名な人のライブってのも初めてだった。

そして数年たちブルームを縁として嫁はんと出会った。
何度か仕事辞めちまおーかと思った時もあったけど嫁と出会い結婚した辺りから俺にいい刺激をくれる上司先輩後輩に出会った。
子供も出来た。

いつの間にか仕事が楽しくなってきて今や昇格試験受けにin TOKYO。


そして迎えた2002年末。

Bluem of Youthが休止を発表した時俺はなんかホッとしていた。
盲目的に彼らを愛してた人はどーだか知らないがその頃の彼らは確実に魅力を失いつつあった。

別にCDが売れないとかはどーでも良かった。
元々超無名な時代から追っかけてきた訳だし一時スターダムな存在になったのだって殆どメディアの力だ。

それよりも痛々しかったのはステージ上での彼らの輝きのなさだった。
無名時代と比べりゃ格段にうまくなってたと思う。
でもそれにつれて違和感を感じる事が多くなってた。

どう表現するのが的確か解らないけど酷い時には

雑音の中でコンピューターが音の強弱なしに読み上げる朗読。

そう感じる事すらあった。
言霊が完全に抜け出ていたよーに感じた。



そんな折の活動休止だったから俺は逆にホッとした。
あの頃は魅力を失っていく彼らを見ていたくなかったから。

だからかは解らないけど「解散」と言わず「休止」と表現した事に憤慨した。

逃げてんのか?って。

時が経つにつれて皆と一緒でどーでも良くなった。

解散・休止・閉幕・終幕・プロジェクト終了・卒業・・・etc.
表現は変われど全てに共通して言えるのは

「そこで止まった」

と言う事。
サザンやらラルクみたいにソロ期⇔グループ期を交互や平行する人たちの休止は一休みだと思うけどね。


俺のBluem of Youthは2002.12.20で止まったまま。
去年の10.10は現在進行形のBluem of Youthではなくて、現在進行形の別所ユージと松ヶ下宏之の力を見せてくれたに過ぎない。
成長した彼らの見せたBluem of Youthの音楽は文字通り最高、極上だった。

うまさとかじゃなくて言霊が曲に完全に乗っていた。


それでもやっぱり俺の中で動き出す事のなかったBluem of Youth。
限定活動はやはり思い出作りの手段にしかならない。




将来的に本格的に活動を開始する日が来た時に俺の中で動き出すかどうかは解らない。

なぜならもうあの頃の気持ちに戻れるかどーかは解らないから。




俺のBluem of Youthはあの日止まってしまったままだから…。
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